早朝、Asahi.com を見ると、嬉しいニュースが入って来た。イスラム宗教者委員会の呼びかけに応じて、24時間以内に3人の人質が解放される可能性がある、という。まだ実行されてはいないので本当に喜ぶべきは解放後だろうが、前向きの動きがあった事は評価したい。人質に取った3人の日本人は、今回の誘拐犯人達にとって「敵とすべきでは無い人たちだった」と再認識されたということなのだろう。アルジャジーラの TV を通じた、親御さん達の訴えが、犯人達に届いた部分もあったのかもしれない。今回はローカルなグループによる犯行との事で、英語のコミュニケーションが通じず、3人の人質がイラクの為に行っているボランティア、取材活動がきちんと伝わらないのでは、と心配していたが、イラク国内の複数のイスラム教権威ルートからの説得が果たされたという事なのだろう。日本人人質事件実行犯に対する、イラク国内での犯人グループに対する今後の対処はイラクの宗教家も介入した上で行われる事になるだろうが、日本政府のイラク問題に対する具体的対応は、今回の事件を境にどう変わって行く可能性があるのだろうか。
自衛隊を引かせる事無く人質全員を無事平和的手段で解決した、という事で、小泉政権の判断は正しかったのだ、という態度を当然政府は表明する事になるだろう。そして、自衛隊の駐留を今後とも正当化する結論に落ち着く。
しかし、根本的な問題はまだ解決されていない。イラクに派遣された自衛隊は、大変立派な人道支援・復興支援活動を続けている事を、時々届くニュースで知る事は出来る。しかしその実際の活動とは全く別のところで、迷彩服の日の丸部隊は、反米イラク民衆にとっては米国の支援者、としか映らない。ファルージャの戦闘から拡大した、米国に対する激しい反撃が続く限り、日本の軍隊が駐留を続けると、今後さらに過激な事件を誘発する可能性は否定出来ない。米国側ではバグダッド陥落後多くの軍人、民間人の人命が失われているので、米国から見れば日本の民間人が誘拐されても、自衛隊に危害が加えられても、日本国内でアルカイダによるテロが起こっても、同盟国なのだから多少の犠牲はやむを得ないだろう....という論調になってしまうのかもしれないが、本当にそれで良いのだろうか。
私は日本の完全非武装化を唱える様な急進的平和第一主義者では無いし、自衛隊も本土防衛という目的に於いて重要な存在だと思っている。しかし、今回イラクで自衛隊に与えられている中途半端な役割には、どうしても疑問を感じてしまうのだ。無関心ではいられない。先にもあげた通り、被爆疑惑もある宿営地の中にこもって、内戦激化の間はじっとしているのが、彼らが果たすべき役割なのだろうか。自衛隊もまた、今回の米国主導のゆがめられた国際政治の犠牲者である様に思える。
今後日本政府は、今回の様な事件が2度起こらない様に、NPO 系、独立ジャーナリスト系民間人によるイラク入国を厳しく制限する動きに出るのかもしれないが、今回人質になった3人が行っていた様な活動を、今のイラクは本当に必要としているのではないか。今回の事件を機に、むしろ人質になった方々が行っていた様な草の根のイラク支援活動に、もう少し我々は目を向ける必要があるのだと思う。彼らの様な善意ある民間人が再度危険にさらされない様に、バグダッドの比較的安全な場所迄、保有の航空機を利用し安全に搬送する、バグダッド入りの後は私服で彼らを警護する、そういう活動が出来るなら、邦人保護観点から自衛隊の活動の意義ある部分も出てくるのかもしれない。ただ、その場合の駐留は、例えば隣国のヨルダンを駐留拠点の主力にしても良いのだろう。しかし、小泉政権としては、現実的にはこの方向に動いてはくれないという気がする。
独立系日本人のイラク国内入国が今後減少し、イラク駐留の自衛隊はサマワの厳重な警戒下の宿営地から外へ出られなくなる今、テロのターゲットはどうしても日本国内の象徴的な施設や移動手段、に向いて来るのだろう。東京都心部で日々の生活を営む我々にも、危険が更に身近になりつつ事を実感せざるを得ない。
今後の展開はいろいろあるだろうが、今はともかく、3人の日本人人質の無事釈放を祈るばかりだ。